大地の響き 投稿コーナー

投稿日:

週刊『三里塚』02頁(1069号02面06)(2021/08/09)


大地の響き 投稿コーナー

半世紀の闘争に感動
 関西学生 坂口清次

 7月に3日間、三里塚で援農に参加してきました。そこでわたしは空港で囲まれながら農業を営むとはどういう事なのかの片鱗を味わってきました。
 昼夜を問わず頭上を我が物顔で飛び回る航空機とそれに追従する騒音、そして絶え間なくこちらを監視してくる空港警備員や警察官。
 それらを話には聞いていたものの、実際に目の当たりにするとなるとやはり驚きを感じると共に怒りが湧き上がってくるのを感じました。
 これらは最初からそこにあった物ではなく、後から日本政府が持ってきた物なのだ。この騒音、監視、弾圧 すべてが現地の農家の方の意向を無視して空港とともに持ち込まれた物なのだ、と考えるととても許せない。
 しかしそれと同時に実感し、また確固たる確信を持つようになったのがその下でも不屈に働く市東さん、萩原さんを筆頭とした農家をやり続ける方たちの強かさです。
 連日休みなく、朝から晩まで農作業をし、自分で育てた物を食べる。賃労働とはまた別の種類の過酷さを内包しながらも確かな達成感を感じる作業でした。
 また、現地調査にも同行し三里塚闘争の歴史や空港と農地の位置関係、そして過去に三里塚闘争を闘った人々の足跡を追いました。ここでもやはり、昔はアスファルトに覆われているここも豊かな農地だった。
 ここに農家の家があった等と学んでいくにつれてやはり三里塚軍事空港を粉砕するための闘いは正しいものだ。との確信を深めるに至りました。
 そして、その闘いを世に広めるための努力、機動隊と国家権力の悪行もさらに世に広めるため、援農に志願する学生をさらに増やすために私も現場で頑張ろうと思いました。
 前進チャンネルを筆頭とした三里塚闘争の様子を世の中に訴え続けていく必要性は、ひしひしと感じています。
 半世紀以上経った今も法律、資金、そして圧倒的な暴力を味方につけた国家権力は未だに農地を奪い切れていない、空港の敷地内でまだ農地を守り続けている。
 そこに確かな勝利感を感じると共にこの守り切り、勝利した地平を更に広げていかなければならない。空港を解体して元の豊かな農地に戻さなければならない。
 これらすべてを自分の教訓として刻み込むと共にそれを糧にこれからの階級闘争を闘い続ける覚悟です。

反五輪闘った力の源
 首都圏学生 新沼 潤

 7月25日、一日萩原さんの畑で援農させて頂きました。
 午前中にキュウリやオクラ、プチトマトの収穫をし、昼前から日没までは草むしりをしました。畑はコンクリートジャングルの東京とは違って日が陰ると風が涼しく、一日働いてもそこまで苦になりませんでした。
 連日の聖火リレーセレブレーション抗議街宣で暑さに耐性が付いたのかもしれません。直前の7・23反五輪闘争で体はボロボロでしたが、三里塚のおいしい野菜をたくさん食べてすっかり回復しました。援農でリフレッシュした気持ちになる一方で、やはりこの土地では農業を続けることそれ自体が闘争だということも常に思い出します。
 国家の言うことなすことに反対すると「過激派」とレッテルを貼られ、まるで普通の人ではないかのような扱いを受けますが、私たちはただ「生活と命を守れ」と、私たちの立場から当たり前のことを言っているだけです。国策だからと強盗的な生活破壊を受け入れる筋合いは全くありません。「国が決めたことだから・もう決まったことだから仕方がない、従うしかない」と人々に無力感を強制し続ける、その積み重ねで戦争できる国になっていくのだと思います。
 しかし三里塚ではそれに抗って人々の実力で55年間農地を守り続けています。7・23開会式粉砕闘争は私たちが三里塚はじめこれまでのさまざまな闘争を一緒に闘い、学んできたからこそできたのだと思います。
 7・23反五輪闘争は昼の都庁前聖火リレー抗議行動に始まり、渋谷デモ、ハチ公前街宣、そして国立競技場前抗議行動と一日を通して闘い抜かれました。五輪と資本家・権力の面子を蹂躙した私たちの闘いは、沿道や世界中のメディア、そして家で開会式を見て絶望していた友人・知人から大きな注目と反響がありました。世論調査で8割近くが開催に否定的な意見を示すなかでの五輪強行によって、労働者や学生、市民が強制されようとしていた無力感を打ち砕く闘いとなったと肌で感じました。
 そして8月3日、7・23国立競技場前で不当逮捕されていたAさんを奪還しました。連日原宿署前で抗議を行い追い詰めた権力に早期釈放を強制したのです。闘えば勝てるという確信を深めてオリンピック粉砕、成田廃港まで闘います。

このエントリーをはてなブックマークに追加