明日も耕す 農業問題の今 教科書から消えた「食糧難」 権力者に不都合な過去

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週刊『三里塚』02頁(1073号02面04)(2021/10/11)


明日も耕す 農業問題の今
 教科書から消えた「食糧難」
 権力者に不都合な過去


 前号で、東大の鈴木宣弘教授が著した『農業消滅』を取り上げ、「食料・農業・農村の重要性を説明する教科書の記述に、欧州と日本では決定的な違いがある」という指摘を紹介した。決定的な違いとは一体何だろうか。

 食料・農業・農村の重要性といってもいろいろある。そのなかで、欧州と日本の教科書の決定的な違いは「食糧難の経験」の記述なのだと鈴木教授は言う。
 鈴木氏が示した『歴史教科書の日米欧比較』(薄井寛著 筑摩書房)から少し引用しよう。
 ドイツやイギリスなどの教科書では、戦争の残忍さや非人間性を生徒たちの心に強く刻み込むための重要な情報として、戦中・戦後の飢餓や食糧難を位置づけている。

飽食謳歌の風潮

 日本の教科書でも1990年代半ばまでは、食糧難に関する記述をほぼ改訂ごとに増やしていた。「米の配給制」「代用食」「闇市」「買出し」などが共通のキーワードとなり、その具体的な解説が戦中・戦後の窮乏生活を強く想起させた。
 だが、2014年度使用の高校歴史教科書『日本史B』19点を見ると、食糧難については多くても4、5行、あるいは脚注のみの簡潔な記述で済ませているのだ。人々の窮乏を思いおこさせる写真も減少していると薄井氏は指摘する。
 食糧難の記述を簡略化(化石化)する動きは、90年代から世紀の変わり目に起きた、同時に飽食を謳歌(おうか)する風潮が広まり始めたと薄井氏は言う。今でもテレビをつければグルメ番組で毎日「うまい!」が連呼され、私たちは知らず知らずのうちに「飽食」を刷り込まれている。
 教科書に話を戻すと、逆に戦後史の基軸として描かれるのは、工業発展と輸出拡大を基本とした日本の経済発展である。「戦後の日本は、ある時点から権力者に不都合な過去を消し始めた」(『農業消滅』)
 支配者に都合の良い教科書で、過去の事実や歴史的背景を知り、批判的に問い直すための教育が奪われている。飢餓に直面するかもしれない食料危機・農業危機を『農業消滅』は説くが、それを歴史の教訓から見る視点を奪われているのだ。

労農連帯がカギ

 だが、農業消滅の危機とは日本の農政が行き着いた破綻の表れに他ならない。岸田新政権に代わったところで、なんらこの破綻を食い止めることなどできない。
 農業消滅の危機を前に鈴木教授は提言する。
 「農家は協同組合や共助組織に結集し、市民運動と連携し、消費者との双方向ネットワークを強化して、自身の経営と地域の暮らしと国民の命を守らねばならない。その自覚と誇りと覚悟を持つことが大切である。そして消費者は、それに応える義務がある」
 階級的な視点から言えば、労農連帯の重要性に通じるのではないか。
 農業消滅の危機をチャンスに変えるような団結を広げていこう。
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