大地の響き 投稿コーナー
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農楽まつりに初参加 学生 岡元 碧
私は今回初めて農楽まつりに参加した都内の反戦派学生です。
まず、改めて成田空港会社が急ピッチで進める「新たな成田空港構想」を徹底的に弾劾したいと思います。空港の敷地面積を従来の2倍にするこのような拡張計画はまさに、中国侵略戦争のための出撃拠点としての滑走路延伸計画であることは明らかです。
絶対に成田を戦争のための兵站(へいたん)出撃拠点にすることは許してはいけません。
日帝国家権力が押し進める第一級の国策であっても、団結に依拠して闘えば勝利できる、このような姿勢はまさに土地収用法の適用をも粉砕したこの闘いにこそ鮮明に示されていると思います。
これからも私は、「戦争反対、農地死守」のスローガンの下、三里塚闘争を力強く貫徹的に闘い抜くことを宣言します。
そして、迫る8・6広島に向けて、今年度前半期で切り開いた安保=沖縄闘争の爆発的な発展、5月沖縄現地闘争で機材土砂搬入を阻止した圧倒的な勝利、6・14で逮捕されたが、完黙非転向を貫く、まさに星野さんや大坂さんのような精神を引き継いで闘った全学連Bさんの切り開いた地平を引き継ぎ、2025年階級闘争の圧倒的な革命的高揚を切り開いていこうではありませんか!
集会の個人的感想ですが、過ごしやすい気温の下、焼きそばやスイカ(昨今フルーツは高いので久々に食べました!)を音楽(フォーク調)と共に頂く、とても人間的であり、このような生活が本来の解放的な生活なのかなぁと感じるような集会でした。
産直野菜食べてます 神奈川 上野浩幹
神奈川からはワゴン車1台を出して、7人で参加しました。
市東さんの南台農地に集合してから清水の畑までデモ。千葉地裁の南台農地の「明け渡し」の不当判決は、中国侵略戦争情勢のもとで成田空港の拡張工事が行われていることと一体の攻撃だ。2023年の強制執行に対して、夜通し闘ったことを思い浮かべながらデモをしました。
清水の畑の脇にある木陰に準備されていたイスとテーブルについて、焼きそばやトウモロコシ、スイカ、かき氷、ドリンクなどをいただきました。約100人分の食事を準備してくれた反対同盟と現闘の方々に本当に感謝です。
普段は横浜という都市で窮屈に生活している身としては、三里塚の農地と大地の中で生きる農民の方々の力強さを感じます。
三里塚の産直野菜は、スーパーで野菜が高い時も定額で届けてもらえるのでとても助かっています。時には、自分が触ったこともない野菜が入っていて、「どうやって食べるんだ?」と面食らうこともありますが、野菜と一緒に入れてもらっている料理の例を参考にしながら、おいしくいただいています。
市東さんが最後のあいさつで、「59年間、国家権力をもってしてもまだつぶせていない。農地死守、戦争絶対反対。完全勝利へ向けて闘っていきます」と話された。この決意を共にして、農地死守、中国侵略戦争阻止へ闘っていきます。
新しい仲間とともに 杉並 木梨義孝
7月6日農楽まつり。産直の仕事柄、清水の畑を見て回った。出荷中のジャガイモ、産直では今年初めて作付けしたサラダかぼちゃは元気に育ち、秋に出荷予定のゴボウ、サツマイモも順調そうだった。とはいえ、この猛暑と水不足は野菜の命も左右する。空港機能強化、農地取り上げ、食料の国家統制、すべてが農民殺しの攻撃だ。そして、ただならない気候変動。改めて資本主義への怒りをかきたてた。
この間「大行進」に参加しているY子さんが産直ケース野菜を取り始め、デモと農楽まつりに参加し、すぐさま感想を寄せてくれた。
「三里塚、私にとって近くて遠い、近寄りがたい存在でした。10代のころにTVの画面で観た映像が余りに強烈に私の中に留まっているのです」
「炎天下のデモ、フェンスで囲まれた道路や畑を歩きながら、今まさに、ガザに、沖縄に一瞬で通じる光景なのだと感じました。大型旅客機の爆音の中、ここで日々、農作業する市東さん、萩原さん達に思いをはせないわけにはいきませんでした」
「何人からも意見表明がありましたが、市東さんの言葉はシンプル!『農地死守! 声を出していくことを諦めず、闘い続けること』まさに生きるとはそういうことだと心に深くしみました」
「市東さんのお話が一番胸に来ました。負けても負けても諦めてはダメ、勝つまで声を出し続ける、闘い続ける。そのことがまさに生きることなんだと、改めて肝に銘じました。私に一番欠けていたことです」
大行進運動には新しい仲間が結集してきています。全学連を先頭に、青年・女性が59年間不屈の三里塚闘争に初めて触れ、魅了され、その力を戦争反対の闘いに持ち帰っています。反戦闘争は三里塚闘争を大きくし、三里塚闘争は反戦闘争を強くする。急加速する世界戦争情勢の中で、中国侵略戦争阻止、帝国主義打倒を真っ向から訴えていきましょう。団結!
市東さん発言に感動 東京 岸上雅博
猛暑の中、7月6日の農楽まつりへの参加を果たした。毎年参加していますが、今年は一番暑くて体力的に大変だった。しかし、青年をはじめ多くの参加があった。
デモの集合場所は、耕作権裁判の一審不当判決が出た市東さんの南台農地。青々と広大な耕作地にジャガイモやトウモロコシなどの作物が生い茂っている目の前の現実に、われわれが闘いとっているのだと自己確認した。この南台農地から、会場である萩原さんの「清水の畑」まで約40分のデモ行進。市東さんの家の前、警備宿舎の前、今延長をたくらむB滑走路の直下(トンネル内)を通過。解散地である会場も空港敷地内だ。権力にとっては嫌な、われわれにとって素晴らしいデモコースだ。
会場では、スイカやトウモロコシ、かき氷がふるまわれ、農楽まつりが始まった。「農楽」とは「農村で豊作を祈願したり、収穫を祝ったりする際に演奏される音楽」だそうだ。音楽演奏を聞きながら、三里塚の幅の広さとアイデアの豊かさをあらためて感じました。
集会では主催者あいさつで出された伊藤さんからの空港機能強化にたいする発言が重要だと思いました。何と空港会社は、4年後に「第2の開港を目指す」という。今の成田空港を倍の面積にするのに、報道によれば未買収地が11カ所、2・9㌶、対象地の26%もある。59年経ってまだ未完成の「第1の開港」を知るわれわれの闘いの偉大さを感じる。特に市東さんの発言は、毎回冴えてきて胸にじぃんとくる。
学生の発言で「今日初めて三里塚に来た人がいる」と紹介された。私が初めて三里塚に来たのは1969年9月の全国集会。その時、ふるまわれたおにぎりのおいしさを感動的に思い出した。
私も消費者として「市東さんの農地を守る会・江戸川」で活動しています。最近、今年初めて作ったというサラダカボチャが大好評。産直運動の維持・発展がもう一つの三里塚闘争。頑張りたい。
85年蜂起戦から40年 東京 鎌田雅志

市東孝雄さんの家の前で停まるコミュニティバスを降り南台の畑に向かうと、ご本人が収穫作業をしていた。軽トラの荷台には採れたばかりのキュウリとオクラ。集合時間まで1時間以上ある。初めて見るオクラの花の美しさに感動し、落ちていたキュウリを拾い日陰でスケッチをしたりして、こんな時間はいつ以来だろうと得した気分になった。
今年は1985年「三里塚・国鉄」の蜂起戦から40年。現地に来るたびにさまざまなことを思い出す。5月にデモをした芝山町菱田の地は、40年前の7月21日、全学連を先頭にしたデモ隊が機動隊をうち破り放水車を奪い取った現場だ。数日後に開催した全学連大会で「大衆的武装闘争で10・20成田空港に突入する」方針を決定し、8・25菱田現地闘争で再び機動隊を撃破した。
空港突入方針は81年に掲げた。以来、83年3・8反対同盟分裂攻撃を怒りに燃えて粉砕し、大結集運動で隊列を飛躍的に増やし、84年から意識的に実力闘争を積み重ねた。三里塚闘争の拠点大学への反革命カクマルの武装襲撃を血を流して粉砕し、闘いを守り大衆的支持を拡大した。圧倒的な戦意と勝利の確信をもって決戦の日を「10・20」に定め宣言した。
思いあふれる決戦の夏。
空港敷地内に踏んばる市東さんの畑から萩原さんの畑まで、猛暑の中をあくまで意気高くデモをうちぬいた後の、木陰を渡る優しい風に吹かれながらの農楽まつり。全体がひとつになり、農地死守、空港機能強化粉砕、中国侵略戦争絶対阻止の決意をかためた。
「あきらめずに最終的な勝利まで闘いぬく」という市東さんの言葉に奮い立った。