明日も耕す 農業問題の今 ゆがめられた「有機農業」 資本主義批判の原点失い

投稿日:

週刊『三里塚』02頁(1166号02面04)(2025/08/25)


明日も耕す
 農業問題の今
 ゆがめられた「有機農業」
 資本主義批判の原点失い


 前号で参政党の問題を取り上げ、「排外主義にもとづく有機農業」を許すなと訴えた。そして「問題は有機農業の中身だ」と提起した。今回はその中身について少し取り上げてみたい。
  日本の有機農業は、化学肥料や農薬を多用する近代農法への批判が出発点だ。
 1970年代、日本では公害が大きな社会問題になった。農業においても、化学肥料や化学農薬が多用された結果、土壌や水質の汚染、生態系の変化などの環境問題が深刻になる。
 そうした状況の中、化学肥料や化学農薬を使わず、持続可能な農業として取り組まれたのが有機農業だった。
 有機農業はその原点において資本主義批判があり、本来は社会変革と一体なのだ。
 ところが次第に有機農産物はそうした思想や農村とのつながりから切り離され、「ブランド商品」として注目される。同時に、健康のために有機農産物を食べるといった健康主義が広がる。
 それが自分や家族(だけ)の健康を何より大切にする、自分たちさえよければいいという偏った考えに陥ると、政治的に利用されることにもなるのだ。

企業参入を加速

 他方、政府の進める有機農業はどうか。「みどりの食料システム戦略」は、2050年までに①農林水産業の二酸化炭素(CO2)排出量実質ゼロ、②有機農業を全農地の25%(100万㌶)に拡大、③化学農薬の使用量半減をうたう。
 だが、同戦略はイノベーションやスマート技術で課題を克服するとしており、企業の農業参入を加速する。
 そしてイノベーションの中には、化学農薬を使わないためとして、ゲノム編集やRNA農薬(害虫や雑草がもつ特定の「有害」な遺伝子の働きを妨げ駆除する)が掲げられている。化学農薬でないからといって、これらが有機栽培に認められることになったら、有機栽培の意味するものが大きく変わってしまう。
 有機農業とは自然の摂理と向き合い、自然との共生の中で営まれるものだ。単に化学農薬を使わないことに本質があるのではない。
 「みどり戦略」は形ばかりの、企業のための有機農業に他ならない。政府はこの分野における世界での技術競争に勝ち抜くために、まさに争闘戦として推進しようとしているのだ。

闘いが不可欠だ

 前号で紹介した8月8日付の東京新聞「こちら特報部」の記事には、「有機農業や食の安全をめざす運動が国家主義・排外主義の枠内で語られることを拒否する」という農家の批判が紹介された。
 石破政権が中国侵略戦争に向かう情勢下では、拒否にとどまるのではなく自国政府を闘うことが必要だ。本来の有機農業を貫くためには、侵略戦争体制づくりも排外主義も許さずに闘うことが重要だ。
 ねじ曲げを許さず、闘う有機農業を広げよう。

このエントリーをはてなブックマークに追加