新版・現闘員奮闘中!日誌 市東農地決戦の先頭に立つ 労農学共闘の旗高く 石田反革命打倒を 三里塚現地闘争本部員 平井雅也

週刊『三里塚』02頁(1169号02面03)(2025/10/13)


新版・現闘員奮闘中!日誌
 市東農地決戦の先頭に立つ
 労農学共闘の旗高く
 石田反革命打倒を
 三里塚現地闘争本部員 平井雅也

(写真 第2挺団の先頭は車の両輪として闘う動労千葉と反対同盟【5日】)

 「春夏冬」と書いて、秋無い=商いで営業中という意味の判じ物の看板を掲げた飲食店を時々見かけます。「飽きが来ない」とか「空きが無い」で繁盛といった意味も込められています。そういうのならともかく、現実に秋が来ないのはしゃれになりません。野菜の作付けも涼しくなるのを待って全体的に遅らせ気味なのですが、まだ高温傾向のため苗がうまく育たなかったり、作付けし直したりといったことが起こっています。
 10月の三里塚全国集会を作付け真っ最中で迎えるというのは、これまでなかなかなかったことだろうと思います。
 さて、さすがに季節はずれとなる水遊びでもなかろうに、沼地へ踏み込んだ人々がいます。最近では特定の趣味に熱中することを「沼にハマる」とか「沼る」なんて言いますが、そもそもそれくらいの感じだったんですかね、石田真弓を頭目とする連中は。一足先に沼地に来ていた有象無象の連中が彼らに群がり大歓迎となっているとおり、石田らの反革命としての正体はいよいよ明らかとなってきています。
 『ドイツ・イデオロギー』に「革命が必要なのは、たんに支配階級を他のいかなる方法によってもうちたおせないからだけではなく、うちたおす階級がただ革命のなかでのみ、いっさいの古い汚物をはらいのけて社会をあらたに樹立する力を身につけることができるようになるからである」と書かれています。女性差別も、革命の烈火の中で自らはらいのけていくのです。そうすることを拒否した石田とその同調者たちは、根本において革命を投げ捨てたのです。汚物にまみれたままで良しとして、どうして女性解放や革命があるというのか? 石田らが自ら沼地に踏み込んだ結末は、延命のためにあがけばあがくほどますます汚物にまみれていくものとなるよりほかありません。
 『ド・イデ』では先のセンテンスの少し前に「この階級(労働者階級)はすべての社会成員のうちで多数をなしており、そしてこの階級から根本的な革命の必要性についての意識、すなわち共産主義の意識がでてくる。この意識はもちろん、ほかの階級のあいだでも、この階級の立場をよく見ることによって形成できる」とも書かれています。労働者階級自己解放の革命を成し遂げていくのが共産主義の思想なのです。そしてそれは、史的唯物論的な必然性をもって労働者階級から出てくるものであって、インテリゲンチャの頭の中からひねり出したようなものではないのです。学生出身で革命を志す者は、労働者階級の存在そのものとその闘いに学び、労働者階級に獲得されなければなりません。それが「階級移行」というものです。
 石田らが11・2労働者集会を運動方針から外したことは、彼らの労働者蔑視を一目瞭然に形にしたものだと言わねばなりません。もはや革命的共産主義者同盟学生組織委員会であるとかマルクス主義学生同盟であるとかの名とは縁もゆかりもないものになり果てたということです。
 反対同盟の旗には3つの輪がデザインされていて、労農学共闘を表しています。「車の両輪」としての反対同盟と動労千葉、そして三里塚闘争の最初期から共闘関係を築いてきた全学連。この労農学共闘を最後まで貫いていくことを「全学連三里塚現地闘争本部」として改めて決意したいと思います。
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