岸本豊和さん偲ぶ会 50人が集い闘魂の継承を誓う 東京 元現闘 岸上雅博
岸本豊和さん偲ぶ会
50人が集い闘魂の継承を誓う
東京 元現闘 岸上雅博



1977年から三里塚現地闘争本部員として闘い続け、昨25年9月に亡くなった岸本豊和さん(写真)を偲ぶ会が12月21日、千葉市のDC会館で開かれました。
三里塚反対同盟の伊藤信晴さん、動労千葉顧問の田中康宏さん、革共同の黒島善輝さん(沖縄出身)、1967年当時三派全学連委員長だった秋山勝行さん、星野暁子さん、かの85年10・20戦闘を先頭で闘った元全学連委員長の鎌田雅志さん、さらに元現闘出身者が遠くは新潟から駆けつけ、50人以上の参加で「大盛況」でした。
全員が岸本さんを「心不全で亡くなる前日まで、反帝・反スタの闘いをやり抜いた同志」とたたえ、「彼の闘いを引き継ごう」と約束しました。私は岸本さんが今日のそうそうたる同志たちを呼び寄せたんだなとの印象を持ちました。
私にとっては、同じ三里塚現闘員として33年間、私が東京に移ってからも15年間、同志・友人として交流してきた(定期的に数人で一杯やる関係)。体調が悪くても休まず、無理をしているように感じていた昨今だが、彼は絶対に休まないし人の意見もあまり聞かない性格。
私は、かの三派全学連の時に広島大学から派遣されてきた普通の現闘員。責任ある立場にも立ち、岸本さんを現闘に受け入れたが、彼は派遣されたのではなく自らの意思で、農地破壊や鉄塔決戦に怒りを燃やし、現闘を通さず反対同盟員宅に1カ月入り込み、その反対同盟員の勧めで現闘になった経歴の唯一の人物だ。最初は彼にとって現闘の規則も何もない。初めての敷地内天神峰デモに○○ビンを隠し持って参加しているのを発見して、止めるのに一苦労した思い出がある。
その後は推測される通り彼と一緒にやるのは大変なことばかりの印象。しかし、私は三里塚闘争のためのよい適格なアドバイザーの一人として彼の言うことを受け止め、付き合ってきた。
彼の経歴は、沖縄県名護市の出身で琉球大学でのカクマルとの激闘などを経験し、沖縄の視点から本土にわたり、千葉県佐倉市に到着し、その佐倉市で開催された北原鉱治さん(反対同盟事務局長・当時)の講演会に参加して、三里塚につながった。現闘として、市東さん(親子)への援農や討論など積極的に、そのほか周辺住民への取り組みや、星野闘争への取り組みなど現闘の枠を越えて、何でもやってきた。私が中途半端なことを言うと必ず意見してきた。そういう関係だ。
偲ぶ会では飲み仲間の東京東部の久保さんから、「仕事でどうしても参加できない」とのことで、メッセージを託され、岸本さんの墓前にも飾るように伝言された。それを飲み仲間の三里塚の労働者が読み上げてくれたが、「中国侵略戦争を阻止する地区党の闘いが三里塚を勝利させる。その岸本さんの意志に基づいて進みたい」とまとめられていた。
私も岸本さんから学び、岸本さんの精神でこれからも闘っていきたいと強く決意しました。岸本さんが、常に言っていた「反帝・反スタ、世界革命」を引き継いで必ず実現する決意を新たにしました。