沖縄闘争に参加して 基地撤去、5・15体制粉砕へ 三里塚現闘も全力で闘った 先遣隊として連日決起

週刊『三里塚』02頁(1185号02面03)(2026/06/08)


沖縄闘争に参加して
 基地撤去、5・15体制粉砕へ
 三里塚現闘も全力で闘った
 先遣隊として連日決起

三里塚現地闘争本部員
 永井 隆

(写真 自衛隊勝連分屯地前で訴える永井さん【17日】)

 5・15沖縄闘争の成功のために先遣隊として派遣され、任務完遂し無事帰還しました。ビラ折り、ポスティング、朝ビラ、署名など12日間の限定された期間ではあったが「沖縄現闘」の気概を持って闘い抜くことができました。辺野古座り込みのおじー、おばーからの期待の大きさ、自らの責任の重さを痛感させられ、沖縄の怒りの大きさ・深さを体感できたことは、革命本番のこれからの闘いの糧となり励みとなる経験でした。18日夜、帰還後三里塚現闘体制に復帰し翌朝から市東さん宅の援農に入りました。
 2026年の「5・15沖縄闘争」は、これまでの延長線上にはない決定的位置と意義を持つ闘いとしてあった。真正面から、これに応える鮮烈な基調報告が大行進沖縄の松本未土さんから提起された。「ついに革命の時が来た」「沖縄から帝国主義を倒す」と。元基地労働者の水島満久さんは、ベトナム戦争下のB52墜落炎上、コザ暴動、牧青の闘いなどの歴史を説明する中で、中核派学生3名の嘉手納基地突入が米軍政と基地に対する無力感・閉塞(へいそく)感を打ち破る突破口を開いたことを熱く語った。
 アメリカのイラン侵略戦争として中国侵略戦争・世界核戦争が既に準備され実戦演習も開始されている今、沖縄の戦前・戦中・戦後の歴史と現実、半世紀を超えてさらに強化され続けている「戦争と基地の島」=「5・15体制」を粉砕し革命の島に変えなければならないし変えることができる時が来ていることをあいまいさなく確認しよう。何よりも95年SACO合意「5~7年以内の普天間基地返還」が県民十万決起に恐怖した日米両政府の時間稼ぎと解決先送りのペテン・空約束であったことが露呈した。辺野古新基地建設は「代替」などではなく普天間継続使用こそ「唯一の選択肢」だったのだ。30年間累積され続けてきた沖縄の怒りのマグマは必ず爆発する。「オール沖縄」、共産党の破産・屈服を打破して改憲・戦争阻止!大行進が主導し責任を取りきる時が来た。
 星野・大坂同志が三里塚を闘い沖縄を闘い抜いた71年、「二つの11月」に攻め上っていく「70年決戦」(67年10・8羽田~68年10・21新宿騒乱~69~71年安保・沖縄・三里塚)は、沖縄奪還、安保粉砕・日帝打倒の総路線に基づき日本階級闘争の武装的発展を切り開いただけではなく、日帝打倒の勝利的決着を求めてやまない本物の革命党と運動を打ち鍛え営々と継承され革命の達成まで闘い続けられていく現在進行形の闘いである。「歴史選択としての70年」が半世紀を超えて今、世界戦争と世界恐慌が相互促進的に進行する史上類例のない人類史的転換期の様相を顕現している。50年、100年の歴史の変動を真正面からリアルに見据える必要がある。レーニン的に言えば、帝国主義について、スターリン主義について、理解していなければ世界で起きている政治・軍事・経済・社会の何も理解することはできない。反帝・反スタ世界革命の完遂こそ21世紀現代の時代と階級の要請だ。
 新たに決起した青年・学生・女性同志達へ。激動期の1年は平時の10年に匹敵すると言われるが、これからの数年間は疑いもなく革命的激動期の歴史転換過程となる。革命の達成以外に帰るべき一切の道を自己切断するとき、革命家の歩みは開始されると故・本多延嘉革共同書記長は提起している。一切を革命の観点からとらえ返し、自らが一生の革命家として変革・飛躍を勝ち取るべき・勝ち取ることのできる時代に突入したことを確信し闘い抜こう。

辺野古で資材搬入阻む
 三里塚現地闘争本部員 野澤みどり

(写真 嘉手納基地へのデモ出発を前に【17日】)

 初めて沖縄闘争に参加しました。辺野古の座り込みの現場で、22年間闘い続けておられる方たちの話を伺え、一緒に座り込み資材搬入を阻止しました。99歳の女性は、戦争当時、3人の友達のうち二人が激しい爆撃を受け「死にたくない」と言いながら亡くなってしまったことを語りました。悲しみ、生き残ったつらさ、そして沖縄戦で「めちゃくちゃ」になっていた衝撃を話してくれました。あのガザの映像と重なり、これは過去のことではなく今の私たちの世界の現実であり、戦争を止める闘いの決意を新たにしました。全学連は、おじー、おばーたちの闘いを受けとめて、戦争の元凶帝国主義を打倒する本土の沖縄に連帯すると述べ、それは私たちみんなの決意です。
 沖縄の同志の闘いによって、3日間の闘争が勝利したと思います。和田邦子さんが嬉々としてヘルメットをかぶり、先頭に立っていました。イラン侵略の米軍空軍基地・嘉手納基地の第2ゲートへのヘルメット部隊を先頭にデモ。そして、第2ゲートへの私たちの抗議行動を妨害する機動隊との激突。基地と戦争を押し付けることへの腹の底からの怒りをたたきつけました。その前に元基地労働者の水島満久さんが、嘉手納基地を一望する展望所からの説明をしていただきました。沖縄の基地への怒り、全軍労牧港支部の闘い、スト現場への右翼暴力団の襲撃などの歴史、そして私たちの3日間の沖縄闘争の意義を鋭く提起されました。
 17日は、遠征前進基地作戦の実戦部隊―司令部、陸上自衛隊勝連分屯地へのミサイル基地を許さないぞと抗議行動に行きました。門の奥で複数の自衛隊員が小銃を構えていました。その兵士に対し、「あなたたちは住民に銃を向けているのだ。軍隊が住民を守らない歴史を今繰り返すか」と訴えました。多くの発言者が「あなたたちの力を、武器を、あなたたちを戦争に加担させる日本政府に向けてください。帝国主義者の国家を守るのではなく」と呼びかけ、私も感動しました。
 三里塚現闘の永井さんの決意表明は、次のことを述べていて圧巻でした。今、機能強化策がゆきづまる中で、農地の強制収用検討が取りざたされ、元反対同盟の石井新二らに強制収用を提言させるという茶番劇が行われています。しかし、これはNAAの悲鳴です。戦争へかじを切った日帝は成田軍事空港を必要とし、三里塚闘争の解体を狙っています。市東さんは必ず「沖縄・福島と連帯して三里塚は闘う」と表明します。三里塚闘争は、大地に根差した文字通り実力闘争を貫いて勝利してきています。
 18日の陸上自衛隊那覇駐屯地への抗議申し入れ行動では「第15旅団の師団化やめろ、侵略の銃をとるな」と訴えました。
 沖縄闘争に参加してあらためて本土の沖縄闘争の責任を痛感した3日間でした。

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